社交ダンスの日本の歴史|福岡の森川ダンススタジオ

092-522-6067

福岡市中央区平尾1-13-25 国泰ビル206

社交ダンスの日本の歴史

日本の社交ダンスの歴史を紐解くとき、鹿鳴館の舞踏会が始まりであることは、よく知られた話です。日本で社交ダンスが踊られたパーティーが初めて開催されたのは1883年で、それは日本の中で沸き起こった欧米化主義の表れでした。明治政府としても「欧米なみの文化水準を持つ日本」を印象づけるため、井上外務卿が中心になって、麹町区に外国人接待所として11月に鹿鳴館を建設しました。  もちろん社交ダンスを踊ることができるのは政府の高官や在日外交官など一部の上流階級に限られていましたから、現在のボールルームダンスとは異質のものでした。実際に鹿鳴館の舞踏会で演奏されたのは陸海軍の軍楽隊によるヨーロッパの古典舞踏会で、社交ダンスを踊ったのはほとんど外国人でした。井上らはこうした事態を恥じて、東京農学校で獣医学を教えるドイツ人を招き、明治17年、社交ダンスの練習会を発足させました。多くの政府関係者が「時代の波」に乗り遅れないために練習に励み、一種の社交ダンス熱がこの時代を覆ったのです。しかしこの社交ダンス熱も、日米修好通商条約改正交渉を有利に運びたいための見せかけの西洋化で「盆踊り禁止令」を発するなど、日本の近代化の方向性は見せるものの、一般民衆にとっては無縁のものだったのです。  日本に社交ダンスのダンスホールができたのは、鹿鳴館の時代から30年も過ぎた大正7年のことです。戦前に盛り上がった社交ダンスブームは、戦争で一時中断しましたが、戦後、社会が落ち着くと若者を中心にマンボが熱狂的なブームになり、続いてチャチャチャが大流行し、昭和26年には日本で始めて正式な協議会も開催されました。